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プロフィール
南亀仙人
南亀仙人
南酒店 熊本市下通1丁目4-3 Tel 096-354-2355 創業52年 城見町の中で業務用の酒店を経営。 店先は立ち飲み屋として、午後5時から営業、テーマは「一杯でも一本でも」 コンセプトは球磨焼酎の良さをお客さんに楽しんでもらいたいと店舗を改装。 ブログ作成者は、城見町の活性化から始まり、現在、ストリート・アート・プレックスや 城下町くまもと ゆかた祭り、銀杏祭など実行委員会に参加。 また熊本シティーエフエムで毎月第一週の金曜午後4時から「セラナ・セラータ」と云う番組で「Any Old Time」と云うコーナーをパーソナリティーとして放送中。
オーナーへメッセージ

2007年12月01日

師走の色

いよいよ今年も余すところ30日となりました。

師走に入ると街も人出で賑わうことでしょう・・。
ただ昨今の異常気象と云うのか、自然界もこの温暖化についていけず、
街に秋の色味が掛けていたように思います。

するとこの二、三日の朝の冷え込みは、早速秋の色と言いますか、
師走の色に街を染め始めました。

例年ですと、電車通りの銀杏の木々は既に落葉の時期入っているころですが、
今年は今になって色づき始めたのです。

そう一ヶ月は季節が遅れて来たような気がします。

写真の風景は、今朝の大甲橋、新屋敷側の袂に茂っている銀杏です。
信号待ちで車を止めると、目も醒めるような黄色が、眼に飛び込んできました。

それは一切の混じりっけのない黄色でした。
瞬間、目線に入ったときは、息を呑むように美しいと見とれてしまいました。

危うく信号が青になり、見とれていた自分から現実に引き戻されましたが、
あまりの美しさに頭の中は余韻を引きずったままでした。

是非、この時期にしか見られない熊本のよさをゆっくり眺めてみられてはいかがでしようか?

  

Posted by 南亀仙人 at 18:12Comments(1)TrackBack(0)

2007年11月28日

寿福酒造のこと

寿福酒造という蔵元が人吉市内にある。

人吉市内は、繊月、渕田、福田、深野酒造など多々あるが、この寿福さんの蔵元は、
人吉城祉に隣接している。

球磨川を街の方向から橋を渡り、グランドをぐるりと回ったところにある。
なんとも素朴と云うのか、一見商店といった感じである。
ただ店の軒上には「武者返し」と云う看板があるから直ぐにわかる。

しかし、そこで作られている常圧蒸留の球磨焼酎は、まさに迫力満点の味がする。
力強いというと、何かとても癖があるように思えるが、男らしい酒といったほうがいい・・。

それを造っていらっしゃるのが、寿福絹子さんである。
最近では、息子さんや娘さんと仕込みから蒸留までされている。

しかし、私はこの焼酎が好きになるまで時間がかかった。
と云うのも減圧焼酎ばかり飲んでいた時分は、あまりに手ごたえがありすぎ、
飲んでいると、その手ごわさに疲れてくることがあった。

ただ飲み続けていると、この手ごわさが濃くと旨みの源泉であることに気がつかされる。
そして、瓶熟することを、絹子さんから教えてもらうと、何か成長させた武者返しに
会いたくなった。

そう、一升瓶ごと冷暗な処で、寝かせるのである。
バラバラであった・・・または片意地張った焼酎を一つにまとめるには、
時の流れが必要なのだ。

同じ焼酎の中で何が起こるのか・・・それは分からないにしても、肩で風切っていた
若々しい焼酎から、時間の経過とともに丸くなっていくから不思議である。

どこか人生と似ている気がした。

そんな焼酎をこよなく愛し、こよなく誠心誠意造っていらっしゃる寿福さんには、
脱帽である。少し恐い感じの絹子さんであるが、頑固という言葉を一身に背負って
頑固な焼酎を造り続けている。


  

Posted by 南亀仙人 at 23:50Comments(0)TrackBack(0)

2007年11月27日

駄空のこと

田島慎一と云う男がいる。
歳は45歳になろうか・・・現在、彼は肺がんに侵され苦しい闘病生活を余儀なくされている。

ただ最近、彼の目線は益々澄んできている。
それは、目前に「死」と云う現実を見据えて生きていると、必然、心が澄んできたのかも知れない。

彼は癌に侵されるまで、人と人をつなぐ役目に没頭してきた。
彼の生業は、グラフックデザインであった。

しかしある時期から猛然と「書」を書き始めた。
彼の表現したいものは、墨と筆が一番合ったのかも知れない。

真っ白な和紙に、彼が泳がす筆は絵と共に「言葉」を伴う・・・。
その言葉は、短くも直感的に何を言いたいのかが直ぐわかる。

そんな彼の作品が気に入った人々は、彼に作品を依頼し続けていた。
そんな彼が色々なこの世の局面で、人と人をつなぐ役目も果たしてきた。

人と人がつながると、新しい局面が発生し、そして新しい世界が始まる。
そのツナギ役として田島慎一は徹していた。

彼は誰とでも話し、相手の話をよく聞いていた。
聞くという仕事は、実は非常に難しいことなのである。
また自己を主張することなく、相手の立場になって意見を言う難しさ・・・。

彼は誰に教わったものではない、田島流「対話」を身に着けていた。

人と人が接し、何かが始まると、街が変わっていった。
ストリート・アート・プレックスもしかり、沖縄芸能と熊本のつなぎ役、城見町の町おこし、
城下町くまもと 銀杏祭、城下町くまもと ゆかた祭りなど数知れない・・・。


でも一番功績があったのは、マリスト学園時代の同級生の藤木勇人との交流だった。
藤木勇人は、ご存知NHKの連続テレビ小説の「ちゅらさん」のゆがふ亭主である。

彼は熊本に「島風」(しまかじ)と云うプロモーション団体を興し、熊本で「うちなんちゅ~一人噺」
を藤木勇人と実行したり、古謝みさこさんとも交流を重ねたり、多岐にわたって熊本と沖縄を
つないだ。

そんな男の生き様に、彼に関わった人々は、十二分に沖縄芸能や、彼の書いた作品を
通して堪能してきたのだ。

そんな彼の生き様の是がある。

「駄空」

この言葉は「ダカラ」と呼ぶ。

常に彼の心は、行動は全てにおいて「空」であった。
心にぽっかりとした何も入っていない空があった。

だから彼に関係した人々は、何でも話せたのだ。
そして人が田島を介してつながっていった。

彼のそんな生き様の本が出るという。
題名もそのまま「駄空」である。
12月25日発売予定だ。

是非、読んでみられてはいかがだろうか・・・?
田島慎一の生き様を通して、自分の生きかたを考える機会になると思う・・・。




  

Posted by 南亀仙人 at 13:34Comments(0)TrackBack(0)

2007年11月25日

河内の夕日 その二

河内の夕暮れ、普賢の夕日を眺めながら酒を飲んでいる。

その、たおやかな有明の海を見つめていると、この自然をいつの時代にも
伝えていきたいと思える。

河内側から見ていると、長崎の島原、小浜、天草など同じ文化圏である。
この有明の海を挟んで、営々として人々が生きてきたと思う。

事実、熊本の放送局から配信されている番組を佐賀の有明沿岸、
長崎の沿岸では当たり前に見ているし、聞いている。

島原の人々に至っては、熊本に買い物に出てくるという・・。
確かに雲仙越えて、または諫早から回り込んで長崎市内に行くより熊本が近い。

また天草に於いては、有明町、本渡、栖本、五和、富岡などは
逆に長崎文化圏なのである。
生活風習、言語などに至って、そんな長崎の香りを嗅ぐことが出来る。

過日、南有馬で発生した百姓一揆は、島原に飛び火し、天草の大矢野にも
飛び火し、その結果、天草島原の乱へと発展した。
いかに人もモノもこの有明の海を媒体に交流していたか分かる。

そう思うと、有明文化圏と云うものがあるように思う。
そして有明の海の恵みで生きてきた人々が、それぞれの地域で歴史を育んできたように思う。

いま異常気象なのか、有明の海が危なくなっている。
今年は海水温度が下がらなかったり、赤潮のような異常な事態も発生した。
干潟に生息するまき貝すら今年は採ることを見送った。

河内の岡の一角から夕日に染まる有明の海を眺めていると、この永遠の恵みと
風景がいつの時代まで続くのかと思ってしまった。

はからずも眼下には海苔の養殖棚が薄紅色に染まった海面に暖かそうに
海に抱かれていた。

  

Posted by 南亀仙人 at 16:36Comments(1)TrackBack(0)

2007年11月24日

有明の夕日

長い時間、河内の岡の上で有明海に沈む夕日を眺めていた。
しかも、足湯に足を浸しながら、ゆるゆるとした時間を楽しんだ。

なんとも、悠久な時の流れであった・・。
普賢岳の小浜温泉方向に沈む夕日は、感動以外に何ものもなかった。
また永遠を感じる夕日でもあった。

その紅色に染まった普賢の端に吸い込まれるように晩秋の夕日が
海面を薄桃色に染めている。

有明の海には、海苔の養殖棚が点在していたが、乳桃色に
染まったたおやかな海が優しく棚たちを癒しているようであった。

そんな風景を見ていると、古代から何千年と流れてきた時間が
手に届くようにも思える。

私の傍らには、日本酒の瓶があったが、澄んだ秋の夕暮れの風の中で
口に運ぶ酒が自然の空気と溶け合って、すごく自然に体に染みていった。

自然の恵みとは、自然を肴に飲んでいると一段と美味さが違ったように思えた。

赤い大きな夕日から、段々と黒い普賢の山陰に消えていく夕日に乾杯、
そして今の自分に乾杯、そして明日昇るであろう朝日に新しい自分を
期待し、乾杯・・・・。

  

Posted by 南亀仙人 at 18:32Comments(1)TrackBack(0)

2007年11月22日

渕田酒造本店のこと

八代方面から球磨川沿岸を遡り、人吉に入る手前に一勝地と云う邑がある。

そこに球磨28蔵のひとつ『渕田酒造』がある。


球磨川を右に渡り、くま川鉄道にぶつかり、道なりにガードを潜ると左手に店はある。

蔵ではなく店と書いたのは、正面から見て、これが蔵元とは、とても思えないからだ…

店入り口の左にはジュースの自販機などがあり、また中は土間の上がり口に数本の一升瓶が無造作に並べてある。

はじめは、これが蔵元かと間違えるほどであった。


さて、この蔵元には手作り感の漂う焼酎が多々ある。

実際、蔵元では口で吸い上げホースで焼酎を瓶詰めしたり、ラベルも手貼りである。

最近は地元の『かわせみ』と云う焼酎や『のろまの亀』など造っている。

そんな素朴な味を味わうことこそ、球磨焼酎の醍醐味かと思う。

  

Posted by 南亀仙人 at 16:34Comments(0)TrackBack(0)

2007年11月21日

枯葉

最近の冷え込みは、何か感覚を変にしてしまいます。
秋がなく、夏からいきなり冬といった季節感でした。

まさに人生も同じ…

全盛期だった人がいきなりダメになったりします。
全盛期に集まっていた取り巻きの人たちも一人去り、また一人と皮を剥かれる感じです。

人にとって冬とは一体なんでしょうか…


その答えは季節が教えてくれます。

つまり冬とは、再生への準備時間だと思います。

春になると花が咲きほこり、厳しい冬を耐え抜いた喜びに満ちています。

人も同じです。

いま城見町の欅も色づき、ハラハラと枯れた葉が舞い降りています。
再生への準備を始めたようです。

秋の深まり
儚くも
城見の町を
色染めて…
  

Posted by 南亀仙人 at 17:22Comments(0)TrackBack(0)

2007年11月08日

黒 峰の露のこと(米焼酎)

昨年の秋から球磨の有名な蔵元である繊月酒造では、ある試みが始まっていました。

この20年ばかりの時の流れは、まさに減圧蒸留の
時代だったと思います。

しかし、口当たりが優しく、すっきりした味の減圧蒸留の焼酎だけでは、
左党の皆様の心を完全なる掌握する至らないことに気づかれたのです。

少し回りくど書き方をしましたが、要は常圧蒸留の旨みと深みに
代表される個性的な本格常圧焼酎が繊月酒造にはなかったのです。

最近の焼酎事情として、この5年間は、まさに芋焼酎時代だったと思います。
若きも、老いも含めて、芋焼酎の指名が異常に多かったのです。

そんな芋の甘みと風味、そして濃くは、減圧蒸留の軽すぎる米焼酎では到底
味の面で淘汰された感がありました。

まあ言葉を変えれば、芋焼酎に味覚を鍛えられたということで、減圧の
米焼酎の指名が落ち続けてしまいました。

そこで球磨焼酎の本来の姿である常圧に光が当たり始めたのです。
また常圧の米焼酎でなければ、芋焼酎に対抗できなかったと思います。

そこで繊月では、商品ラインナップに常圧焼酎を加えることになったのです。
当店にも試飲用のタイプの違った常圧を持ち込まれ、どのタイプがいいのか
ヒアリングまでして、今の時代にあった常圧焼酎を模索されたのです。

すると、まさに風味の良い、しかも味に濃く甘みのある焼酎が誕生しました。
しかも黒麹を使ったもので、バランスがとてもいい焼酎に仕上がったいました。

そんなこんなしていると、ついにその年の熊本県内で新発売された商品の優劣を
評価する熊本県物産振興協会の優秀賞に輝きました。

球磨の本来の姿である常圧蒸留による新商品です。
まさに、熊本の小売酒店をヒアリングして意見を取り入れた結果だと思います。

是非、飲んで頂きたい一品ですが、価格はあくまで庶民的・・・。
そう、庶民的飲み物である球磨焼酎です。お傍においてあげてください。



  

Posted by 南亀仙人 at 23:39Comments(0)TrackBack(0)

2007年11月02日

甲の上

「甲の上」と云う球磨焼酎がある。

この焼酎は13年古酒と云う逸品で、今まであまり知られていなかった。

人吉、球磨地方には多々蔵元があり、それぞれに古酒を造っているが
五年からの熟成をもって古酒と云う・・・。
ただ、この甲の上は、13年古酒である。
当然、何か訳でもあるのか?と思ってしまう。

実は、その背景にはドラマがあった。

この古酒を世に送り出しているのは、球磨焼酎株式会社と云う蔵元であるが、
この会社は、人吉、球磨の蔵元さんたちが出資して出来た会社で、目的は、
球磨焼酎の普及であった。

ある時、人吉の蔵元さんが常圧焼酎が売れなくて危ない時代があった。
そう、世の中は減圧蒸留の軽めの味が評判となり、時代は減圧だったのである。

そんなとき、常圧にこだわった蔵元があったが、経営があぶなくなった。
そのとき、球磨焼酎株式会社が常圧の焼酎を買い上げ、蔵元を窮地から救ったのである。
そして、時が来るまで寝かせていたのである。

そして、13年もの間に熟した焼酎となっていったのである。

五年前に発売された「甲の上」・・・・。
日本式のランクの付け方に甲、乙、丙・・・なんて呼び方があるが、
その最上級と云う意味の「甲」の中でも更に一番上と云う意味から「甲の上」と命名された。

その常圧の馥郁とした味と減圧のすっきりした飲み口とブレンドされた古酒は、
口の中に入れると、米のまろやかさがじっくりと広がっていく。

是非、お試しアレ・・。
ロックが最高かい思う・・・・。




  

Posted by 南亀仙人 at 18:33Comments(1)TrackBack(0)

2007年10月30日

晴耕雨読のこと

鹿児島といえば芋焼酎であるが、いま南薩摩が旬である。
最近になって、原産地呼称を日本政府が認めたという情報もある。

そんな南薩摩に面白い蔵元がある。

鹿児島市内から指宿に向かうと特攻基地で有名な知覧がある。
その知覧のお茶畑の中を過ぎていくと頴娃町(えいちょう)にでる。

この頴娃町には相反する二つの蔵元がある。
ひとつは白波で有名な薩摩酒造で、またもう一方は佐多宗二商店がある。

薩摩酒造は蔵元と云うより、巨大コンビナートのような工場で、それと相反する
ような小さな蔵元が佐多宗二商店である。

そこの主力焼酎とは「晴耕雨読」というものであるが、まさに美味である。

この蔵元は、現在の蔵主の先代が始まりで、先代は、国政に携わっていた政治家であったが、
現在の蔵主が30歳前半のときに先代が急逝している。
まさに彼はこの15年ばかり苦労の連続だった。


サラリーマンだった彼は、急遽地元に呼び戻され、蔵元を継ぐことになったが、
まるで素人であった。試行錯誤の末に素晴らしい焼酎を作り上げたのは、
彼の生き様が凝縮して焼酎に乗り移ったからに他ならない。

自社契約農家から採れ立ての黄金千貫が蔵元に届くと、軍手姿の新人の蔵主が
慌てるように皮を剥き、破砕機へと流れるベルトコンベアへと乗せていく・・・。

それは掘り起こした芋は、直ぐに酸化するからである。
まさに時間との勝負であった。

その後、諸味を蒸留すると、澄み切った焼酎の原液が滴り落ちてくる。
それをホーロータンクに流し込むと、表面に浮いてくるフーゼルを手で
掬い取る作業が難しかった。

このフーゼルは、芋の原料に含まれている油脂分であるが、取らないと味に癖が
出るし、また風味も悪くなる。
ただ、すくい取りすぎると、味が淡白になりすぎ、濃くを感じなくなるという
微妙なところにある作業である。

彼は、根気よくフーゼル量を調整する日々が続いた。

そんな彼の努力の結晶が「晴耕雨読」となった。

それからの彼は自らの足で全国各地に売って回ったのである。
そして自らの手で独自の販路を作り出したのである。

現在では日本航空の国際線の飛行機の中でも味わうことができる。

そんなことを思いながら一杯の晴耕雨読を口に含むとき、何か彼の人生の味まで
含まれているような気がする。


  

Posted by 南亀仙人 at 18:42Comments(0)TrackBack(0)

2007年10月29日

球磨焼酎のこと

球磨焼酎と云う名称に他県の方々は、どうも誤解されているような気がする。
当店に来店するお客さんの殆どが「熊焼酎」だとおもっていらっしゃるのだ。

しかし、元々熊本平野の蔵元は清酒蔵であり、焼酎と云うと球磨地方を
指していた。それが、何時もの間にやら、全国辻浦々まで焼酎ブームと
なると、熊本平野まで焼酎造りが始まったものだから、誤解が生まれた。

球磨と云う地方の球磨の味といえば、当然焼酎なのであるが、
この「球磨焼酎」には意味がある。

フランスワインやドイツワインなど、各国の政府が認定した原産地呼称法と云う
ものがあるが、実は日本において焼酎に限って指定原産地がある。
つまり国内に原産地呼称を許されている地域があるのだ。

壱岐の麦、熊本の米、沖縄の泡盛、この三大産地が日本政府から
原産地呼称を許されている。
最近は、南薩摩が加わったと聞いているが、まだ確認はしていない。

では原産地呼称を許されるには、何が必要か・・・?
当地の水を使うことは原則だが、度数制限や原料は指定原料使用、
また蒸留方法の確定など厳しく規定されている。

そんな意味から、球磨焼酎の重みが伝わってくると思う。
味のバラエティーさも魅力だが、これらの制限の中で味を競っていると思えば、
一杯の球磨焼酎も旨みが増すというものかと思う。
  

Posted by 南亀仙人 at 22:56Comments(0)TrackBack(0)

2007年10月16日

熊本の酒

下通の一番の繁華街の場所で酒店を経営しています。
そんな街一番の場所に今まで熊本のお酒をお土産として買っていくところが
なかったのです。

そんな理由から6年前に熊本県産酒試飲所と云う飲めて、買えるお店に改装したのです。
是非、一度おいで下さい。

熊本の球磨焼酎を楽しめます。  

Posted by 南亀仙人 at 16:38Comments(0)TrackBack(0)