2009年06月23日

メンズショップまつの



下通には戦後から街の文化を創ってきたお店が多くある。


過日、通町側から下通に入っていくと、
右手にマルタ号があり、お隣はマツモトレコード…

お向かいには、新世界があり、隣には西野楽器店、隣は竹下かまぼこ店、
その隣は大谷金庫などのお店で埋まっていた。

昭和45年ぐらいには新世界が長崎屋になり、上階にはユニオンスクウェアと言う
当時ハイカラなクラブができたり、地階には、三笠うどん、イタリア洋食店のカプリなどあった…


そんな時代、若者たちに支持を受けていたファッションがあった…


そう…アイビーという服装の形態だ。
アイビーとは、アメリカ東部海岸の名門私立大学のアイビーリーグの
学生たちの間で広まったスタイルであった。


日本の有名大学の学生たちも、洗練されたファッションとして直ぐに広まった…

当時、メンズクラブなるファッション雑誌があり、
ワイルドワンズやセンダミツオなどグラビアを賑わしていた。


三つボタンブレザーやボタンダウンシャツ、ローファシューズ、
ピンホールシャツなど枚挙にいとまない。

そんな石津謙介の提案したアイビー商品を熊本で求めるとしたら…

そう、メンズショップまつのだった。


そんな一時代を風靡した老舗の『まつの』が閉店になると言う…

何か一抹の寂しさと共に時代の苛烈さを感じてしまった。


我らが青春をファッションと言う立場で、こよなく支えてくれた、
松野さんに深く感謝したい。


松野さんの熊本における功績は、我らの甘酸っぱい初恋の香りと共に
記憶の中に永遠に残ると思う…


本当にお疲れさまでした。そして感謝である。

  

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2009年06月22日

熊本の酒



昨晩、ニュースカイホテルに於いて『第4回 くまもとの酒、焼酎を楽しむ会』が開催された。


4年前に始まったイベントだが、心ある蔵元と心ある酒屋さんが、
熊本の酒をもっと県民の皆さんに楽しんでもらいたいと始めた会だ…


昨夜も500名もの愛飲家の皆さんが県内から参加して頂いた。


会場には県内25蔵元からブースを出して頂き、
場内はお客様と造り手である蔵元と活気あるやり取りが見受けられた。


また企画した熊本の酒推進委員会のメンバーも県内各地から集まり、
お客様のお世話なりで汗を流していた。

昨今、県内で町の酒屋さんが激減している。

全国的傾向なのだが、時代の流れの中で淘汰されているわけで、
販売チャネルの多様化により、価格のみで売る酒類販売場が席巻している。

それ故、地酒の本来持ち合わせていた『酒文化』が衰弱し、
酒の節度ある飲み方と礼儀も衰退してしまった。


昨夜はそんな環境の中で参加されたお客様たちは、
本来持ち合わせていた『熊本の酒文化』を再認識することになったと思う。


球磨焼酎が生まれて500年…熊本の清酒が生まれて180年…まさに、
焼酎文化圏と清酒文化圏との融合県である熊本…認知度を高める努力には
きっと明るい未来があると思う…

  

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2009年06月08日

ゴルフ



昨日、我が家の顧問税理事務所主催のゴルフコンペが
阿蘇ハイランドゴルフ場で開催された。


その連絡を頂いたとき、ふと息子の事を思った…

つまり息子のゴルフデビューには最適ではないかと…

それ以来、息子を誘って練習に出掛けたが、数少なく練習で、
どれだけコースに対応できるか?不安だった…


そんな昨日はまさに快晴…容赦ない紫外線がフェアウェイの
グリーンを眩しい程に輝かせていた。


息子にとっては、ゴルフ場で経験するもの全てが勉強である。


ゴルフ技術も大切だが、もっと大切なことに、マナーがある。


同伴の皆様に迷惑のかからないプレーに徹し、
常に気配りを忘れないこと…


また遅延プレーにならないようにパーティーの前後に
気を配ること…など枚挙にとまない。

そんなコース内は、どこか「社会」に近いものがある。

眩しいばかりの初夏の陽光に輝くティーイングランドに立つ息子…


記念すべき息子の第一打…

緊張の一瞬だったが、白球はグリーンのフェアウェイを
糸を引くようにテイクオフしていった…


それは、今まさに彼のゴルフ人生が始まった一瞬であった。


彼は今からゴルフから学ぶことも多かろうと…

人生の同伴者として、ゴルフを楽しんでもらいたいものだ…

  

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2009年06月06日

原田信二さんのこと



さて、昨夜はサンロード新市街振興組合の懇親会が日航ホテルで行われた。


例年、総会後に関連団体や取り巻き商店街にご案内がある。


今年も中央繁栄会にご案内を頂き、私が出席した次第だ…


乾杯後に会場でアトラクションが行われたが、出演されたのは、
いまから32年前、衝撃的デビューをした原田真二さんだ…


キャンディーと云う歌など、あの時代には旋律が軽やかにして新鮮…


歌謡曲やアイドル歌謡に疲れていた自分としては、まさに心地よかった。


たぶん、リズムの使い方と合わせてコードワーク展開が、
あの当時としては画期的だったと思う…


実際、会場で生で聞いていても、古さなどなかった。

まさに原田真二の世界だった。
最近は広島出身の彼は平和をモチーフにして歌い続けているという…


時代をしっかり捉え、地に足のついた成熟した原田真二さん、
これからも頑張って欲しいものだ…



  

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2009年06月03日

昨夜の出来事



さて、お得意先でフランスワインとシャンソンを楽しむ会があった後、
連れと二次会に出掛けた…


店はいつものRupaと云う店だが、訪れときには、
お客様は誰もおらず、我々二人だけだった…


まあ早い時間と云うことも起因していた。


さて、ワイン会では一切ビールは飲んでおらず、
カウンターにつくと無性にビールが飲みたくなった。


カウンターはジュンペイくんが一人仕切っていたが、
我々だけ飲むのもどうかと思い、一杯おごることにした。


するとサントリープレミアモルツの小瓶をグラスに注いでくれた。


が、あと少しでグラスに充分に満ちる寸前、
なんと彼は小瓶に蓋をし、激しくシェイクしたのだ…


驚いて唖然としていると、小瓶から泡立ったビールをグラスに注いだ。


すると何と極めの細かい泡がビールの蓋になったのだ…


生ビールでしか楽しめなかった極めの細かいクリーミーな泡とビール…


まさに技あり一本であった!
是非、ご家庭でもお試しあれ…一段違うビールに変身するはづである。



  

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2009年06月02日

アートプレックス



さて、先日の城下まつりの会場で、アートプレックス実行委員会の企画で、色々なイベントが行われた。


正午からは、水道町寄りにセッティングされていた、
サブステージで西アフリカの打楽器であるジェンベの演奏とダンスが行われ、
軽やかなリズムが観客を酔わせていた。


たまたま、熊本ジェンベ活動の提唱者である村本さんも来られていたが、
若者たちの演奏に目を細められていた。


また別途パフォーマンスとして、下通のアーケードの改修が終わったのを祝して
二番街から四番街まで、アート絵による作成が繰り広げられていた。


特に通町の中央繁栄会の横のテントでは、アート絵のデュオコンビの
Goaの方が独りで制作していて、その絵の美しさが目に眩しかった。


赤色、緑色、黄色、ピンクなど色彩豊かな色が大きなキャンバスに軽やかに流れていく…。


一時間、二時間と時が流れ、そのキャンバスに現れた世界は
慈愛に満ちた母と子の優しき世界だった。


まさに二人で描き上げるモチーフとは違っているから不思議だ…


人が集まり、人が人生を語り、そして生きていく街ではあるが、
商売商売と殺伐とした些末さの空間に、確かに慈愛が必要かと考えさせられた。


最近では郊外大型店に押されて、この街の生き残りを模索しているが、
街とか商店街の良さとは、日頃からの各店における店主とお客様の湿度ある触れあいが基本だと思う…


通町、初夏の日差しで汗ばむ中で、黙々と筆を走らせている彼の提案は、
ドライに生きるなと語っているような気がした。


いま、彼の作品は下通新天街のバトンに展示されている。
ぜひ、ご覧頂きたい清々し作品だと思う。

  

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2009年06月01日

城下まつり



昨日、通町筋の電車通りを歩行者天国にして、
熊本城入場者日本一を記念して『城下まつり』が開催された。


それに伴い城見町の所属する熊本市中央繁栄連合会ではブースを出すことになり、
五車堂さんと青柳さんに出店して頂いた。


初めは市内の小学校が運動会と同日だったため、来場者が危ぶまれたが、
あにはからんや、沢山のお客様で賑わった。


青柳さんは、名物釜飯と巻き寿司、五車堂さんは城下サンドイッチを販売されたが、
時間内に完売となり、安心した次第だ。


特に青柳さんでは、舞妓さんまで、店先に配して頂き、
多くのお客様が記念撮影よろしく、カメラにおさまっていた。


午後一時過ぎには、メインステージで、八代亜紀さんのライブがあり、
お客様のムードも一気に盛り上がった。


まあ昨年は本丸御殿落成を祝しての開催であったが、あれ以来、熊本城の入場も増え続け、
200万人ものお客様に熊本の宝を愛でて頂いている…。


まだまだ、進化復興する熊本城だが、
熊本市民の来場も増えることを期待したい。



  

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2009年05月26日

ユニフォーム



皆さんは株式会社マークスと言う会社をご存知だろうか?


たまたま朝から市役所に用足しに行くと一階待ち合いは混み合っていた…


手続きが終わるまで暇潰しをしていたが、ふと見ると待ち合い席の正面に
ショーケースと共にいくつかのパネルが展示してある。


果たして何かと思い、近づいて見ると、今年のワールド・ベースボール・クラシックで
イチローが使用していたユニフォームが自筆サイン入りで展示されていたのだ…


よもや市役所の一階で出会えるとは夢のような話だ…

しかも、そのユニフォームを作ったのは熊本の会社のマークスだと云う…
驚きが重なってしまった。


いまやプロ野球の幾多の球団も使用しているとパネルに記してあった。


我が愛するソフトバンクもお世話になっているようで、嬉しかった。


いやはや、熊本の有名な企業を我々は知らな過ぎると反省しきりだが、熊本の誇りにも思う…

昨今は熊本ブランド戦略と言う名称が新聞に踊っていたが、熊本を代表する、
このような企業をもっとアピールすべきではないのかと思う…


いやいや、熊本も捨てたもんじゃないと朝から爽やかな活力をもらって市役所を後にした。



  

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2009年05月24日

一輪の花



最近、トイレに入ると水槽タンクの上に一輪挿しが置いてある。
なんとも殺風景なトイレに一厘の花は、趣がある。


最近はまっていた小説に山本兼一さんの「利休に尋ねよ」
と云うものだったが、この本には「侘茶」という世界観が
艶やかに記してある。

利休がこの世の中で無条件に頭を下げるのは、絶対的権力者の
秀吉ではなく「美」というものだと書いてある。
美と云うものは、まさに抽象的な言葉ではあるが、その言葉を
具体的に四畳半の茶室で表現しようとすれば、感性以外に
何者もない。

村田珠光から始まった侘び茶の世界は、村田紹鴎によって
禅というものが加味され、精神世界へと昇華した。

そして利休は侘びの中に艶やかさを求め続けた。

常に傍で利休の盟友であった大徳寺の古渓宗陳は秀吉と云う
政治的存在に振り回され、自分の世界に没頭できず、政治的に常に辛い
立場であった。

しかし利休は違った。
秀吉に屈しない・・・。
美にこそ頭を下げる事はあっても、絶対の権力者である
秀吉に精神的に屈したくなかった。

その証拠に聚楽第の中の黄金の茶室を自ら設計し完成させても、
利休好みは、寂の極限を追いかけている。
その侘び寂れた四畳半の世界に一節切りにした一輪挿しが
艶やかな色彩を放つ花とともにかけてある。

艶やかさと「生」と云う両輪を持ち合わせている一輪飾ることで、
この空間が生き生きとしてくる世界を求めた。

激しく茂って可憐な花々を散りばめてある自然の木々より、
一輪だけ、その美しさを摘み取り茶室に持ち帰ってくることで、
その存在感は抜群になる。

まさに禅的発想が滲んでいるような気がする。
生と死・・・この空間こそ生きるという緊張が満ち満ちて
空気が緩やかに緊張しているように思う。

我が家のトイレには、まさにその生である花が生けてあったが、
自然の中で愛でるより、より存在感が増しているように思った。

お茶のことを「茶道」と云うが、まさにこの世の生死を愛でながらも
命の儚さと共に生の強さを究極に演出する「心」だと思う。

そしてお客様に、その世界で遊んでもらうのがお茶ではあるまいか?
一口に喫茶文化と言えば、それまでなのだが、奥は深い・・・・。
「おもてなし」の極限といえよう。



  

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2009年05月22日

じゃが屋のこと



木曜日は、恒例のラジオの日である。

そのとき、コンメルチョのコーナーのゲストとして
三年坂のじゃが屋さんの店長さんに来て頂いた。

なんでも店のオーナーが青果の卸をされているとかで、
いかに野菜を美味しく食べてもらいたい、という気持ちから
お店を始められたという。

メニューを放送中で見せてもらったが、まさに旬の野菜料理が
所狭しと書き込んであった。

なんとも魅力的な感じで、隣の長江くんまで引き込まれた
ようだ。

そんな放送も終ったあと、長江くんとじゃが屋さんへ
出かけてみることにした。

行く道すがらラジオで放送中にファックスがあり、じゃが屋さんへの
メッセージ内容を思い出していた。

そこに書いてあったのは「お土産として野菜を持って帰れる」
とのことで、果たしてそうなのかと思った次第だったが、
三年坂のサンカクヤビルの三階でエレベーターの扉が開くと
いきなり、目の前に野菜専用の冷蔵庫が設置してあり、
その中に野菜がぎっしりと置いてあった。

まさに、知らない野菜ばかりだ。

長江くんと、色いろと注文し食べてみると、まさに野菜が主役・・・。
ビールの味を塩味の効いた素揚げの小じゃがいもが盛り上げてもらえる。

また、辛子レンコンを頼んだが、その味も今まで食べていた辛子レンコン
とは違っていて、レンコンの粘った繊維が舌に心地よかった。

特に美味しかったのが、トマトグラタンである。
グラタンと云うとマカロニなどが入り、野菜と云うと
脇役のように思うが、ここのグラタンは、トマトが皿の中心に
盛ってあって、それを包み込むようにホワイトソースが
かけて焼きこんである。

その一辺を崩して、フランスパンに乗せて頂くと、まさに至福・・。
このような野菜料理は初めてであったが、ボリュームも結構あり、
満足度は最高であった。

まさにじゃが屋さんは野菜王国といった体である。

本当にご馳走様でした。



  

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2009年05月18日

ウクレレと云う楽器




先日、Rupaと云う店でスタッフのイッちゃんの誕生会が
催された。
それに伴いミニライブが行われたが、トップバッターとして、
水間順子さんがカウンターの横に特設されたマイクに向かった。


なんと最初の曲は「ムーン・リヴァー」をウクレレ一本で歌うという趣向だ。
まさに、ほのかな香り漂う、悠久の時間を作りだしてくれた。

彼女のヴォーカルには、何か邪気の無い透明感が漂う・・・。
その空間は、まさにティファニーで朝食をといった雰囲気であった。

その使われた楽器・・ウクレレだが、実に手に馴染む。
ライブが終って、少し握らせてもらったが、なんとも軽やかな音がする。

ウクレレと云うとハワイの楽器といった感じだが、元々は
ポルトガル人がハワイに持ち込んだブラギャーナと云う楽器が
源だという・・・・。

ハワイで改良を重ねられ、現在の形になったという。
ウクレレの語源は「飛び跳ねる」と云うことから来ているそうだ。
四弦の小さなフレット間を指が飛び跳ねるように行き来きすることから
名づけられたようで、初期のウクレレ奏者の名前にも由来されている
とか・・・。

また楽器の材木もハワイ特産のコアと云うものだそうだ。
まさにポルトガルの文化がハワイの文化と融合した楽器なのだ。

しかし、あのコロコロという音色がたまらない。
まさに南の島の緩やかな時間の流れを、そのまま楽器にした
ような気になった。

最近では島袋ジェイクさんが、ウクレレの奏者として
活躍されているが、まさに進化を続けるウクレレのようだ。
温故知新という言葉があるが、伝統的楽器と斬新な新鮮さを
吹き込む島袋さんに脱帽である。

ウクレレと云う楽器・・なんとも人生の傍らにいつも
置いていたくなる楽器に思えた。

さて写真の主は、RKKラジオのディレクターをやっている
上田陽子さんだ。ウクレレ片手に何を思うや・・・。
実に様になっている。


  

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2009年05月17日

河畔の枇杷の木



今日は朝から雨模様になった。
このようなまとまった雨は久しぶりである。
雨脚は強まったり、弱まったりと油断をすると濡れてしまうようだ。

そんな曇天の熊本・・・。
昨夜は一杯飲んで、タクシーで帰ったこともあり、久しぶりの
運動と思って歩いて下通に向かうことにした。

自宅を出て、数分歩くと大井手川がある。
この川と云うか引き込みの用水路のような井出は、過日加藤清正が
治水として作ったといわれている。

渡鹿堰から引き込んである小川だが、一の井手、二の井手、三の井手
と云う具合に分かれている。

その総称が大井手と云うが、刑務所通りに出る間際の
間道にも井手が走っていて、この辺りの地域の癒しとなっている。
六月ともなれば、蛍が怪しく舞っている。

そんな井手に差し掛かると、川の右端に自生している枇杷の木を
見つけた。
既に枇杷の実がたわわにぶら下がっている。

かなり足場の悪い事もあり、誰も採ることのできない枇杷の実である。
しかし、なんとも6月も直ぐと云う時期に雨に濡れた枇杷の実を
見ていると、心が和んだ。

意外と身近なところに自然があるものだと感心して橋の上から観察
していると、近くにも数本の枇杷の木があった。
湿度の高い今日のような日は、その実が含んでいる酸味と甘みにとんだ
味が連想され、木々の葉に隠れるように実っている黄色い枇杷の実が
旨そうに思えた。

来月は、梅雨の季節である。
きっと、この一の井手にも紫陽花の花が咲き誇るに違いない。
四季の季節とは、きっとこのような風情の中で楽しむものだろう。


  

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2009年05月16日

Good Time Charlieでのこと・・・



さて、二週間前チャーリー永田さんから電話を頂き
「南くん、すまんが15日に留守するのでバンド頼みたいけど・・」
といわれ、「ええ、相談してみます」と応えたのが、
昨夜のステージにつながった。


実は、チャーリーさんのバンドが静岡のイベントに出演要請があり、
店を空けられるということで、留守番のバンド演奏を依頼されたのだ。

この数年、我々はバンド活動はお休みしていた、と云うか雑用にかまけて
音楽の世界から遠ざかっていたというほうが正しい。

それでも我らの無二の友であった田島慎一が存命中は、彼の闘病資金を
チャリティーすると言うことで、チャリティーイベントでの演奏など
していたが、あれ以来、バンドと云うまとまった形での活動はしていなかった。

久しぶりにチャーリーさんからバンド依頼の電話を最初に頂いたのは、
実は今年の3月の終わりだったと思う。

それは、20数年ぶりのバンド演奏の依頼だった。

その20数年前は、ちょうど我々がバンド活動を始めたばかりで、
チャーリーさんから初めて出演依頼があったのときは
ブルーグラス形態のバンドであった。

まったくの素人がステージに上がって、演奏をお客さんに聞いて
もらうなんて、初体験であり、舞い上がった心境は演奏自体の
未熟さを漂わせていた。

それでも根気良く、チャーリーさんは、我々のバンドを
可愛がってくれ、一年もの間、店のステージに上がり続けた。

実は、それ以来のオファーだったのだ・・。
4月25日にステージに上がってみると、なんとも懐かしかった。
そして、緩やかな緊張があったが、歳も重ねてくると、以前の
我々とは若干違っている感じだった。

そのステージは三回行ったのであるが、どうも、それが良かったらしい。
と云うかチャーリーさんは不在だったがママが聞いていてくれ、
その評価に繋がったのだと思う。

そんなことで、昨夜も再度のリリーフバンドとしてステージに上がった
わけだが、ゲストプレーヤーとして米田コウジさんに参加してもらった。
米田さんは以前から、アコースティック・ファンクラブと云う団体を
主催していて、生ギターにこだわり続けている。

セカンドステージで西野くんとステージに上がった米田さんは、
軽やかに西野君のヴォーカルのバックアップをしていた。
またコーラスも様になっていて、素晴らしい演奏だったと思う。

ママが微笑ましく、一番後ろのテーブルで聞いていてくれた。

もう、Good Time Charlieが現在のサンスポット・マツフジビル
に移転して30年もの歳月が流れている。

移転されて一年後に我々はお世話になったのだが、そのとき生まれた
私の息子も今年で28歳となる。
なんとも、いえない悠久のカントリーが流れ続けている。

  

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2009年05月15日

我が家の猫さま



この3月、下の娘が東京に就職し、以前から可愛がっていて
猫が独り寂しそうに敷地内をうろうろしている。

猫と云う動物は、まさに可愛いという錯覚に陥りがちであるが、
実際は、猫さまは気ままなもの・・・。
と云うか自分勝手な生き物だと思う。

気が向けば外に出たがり、気が向けばキャットフードをたらふく平らげ
そして、気が向けば丸くなって眠りこけている。

まさに自由奔放・・・唯我独尊・・・

全ては愛くるしい顔と行動で、チャラにできている。
「私は皆さんの癒しとしての仕事き全うしている」といわんばかりに
我が家では、大きな顔をしている。

過日、夏目漱石の「我輩は猫である」と云う小説があったが、
まさに猫の目線から今の時代や家族の生態を見ていると、
何と思っているのかと思う。

また庭先は猫にとって冒険の世界と云うべきで、様々な小動物と
出逢ったりして、猫生(人生)を自然の時の流れの中で楽しんでいる。

しかし、せわしく動き回る人間様の有様は、猫の行動生態時間とは
かけ離れているに違いない。

何をそんなにバタバタしているの・・・?
そんな猫の声が聞こえてきそうだ。

不思議なもので、日曜など時間にゆとりがあれば、丁度猫さまの
行動と同じで、ゆらりゆらりと過ごすことができる。
そんな時つい世俗的な悩みも消えている。

たまには人間様も猫様のご指導を仰ぎながら、ゆるゆると
過ごす時が必要な気がする。

膝元で猫様が大あくびをしている。
どうも、私の人生の同伴者として、これからも冷ややかな目線で
私たちの人生を見守っていてくれるような気がする。

ニャンコ先生、これからも宜しくと心の中で呟いた。




  

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2009年05月14日

井上雄彦の武蔵



1645年5月19日に宮本武蔵が亡くなった。

もう直ぐ命日である。
現在、熊本現代美術館で「井上雄彦 最後のマンガ展」が開催中だが、
このテーマは、まさに「バガボンド」の宮本武蔵である。

会場には井上氏の独特の詩の世界が、墨筆で見事に描かれている。
その空間に、何か没念の暖かさがあるのは、まさに母の胎内へと
戻っていく武蔵の武人、文人として磨かれた感性から、ただの人の子
に戻っていく姿があるからだと思う。

吉川英治の書いた宮本武蔵が、一定の武蔵像を我々に植え付けていた
と思うが、武蔵と云う人物を井上氏の感性のなかで描くと、また違った
武蔵と出会えたから不思議だ。

司馬遼太郎が何かの本で書いていた武蔵は「屠殺」と云う
剣術だったようだ。
武蔵のかいなは、丸太のように太く、そして強靭な筋肉から
振り落とされる剣には、抗う隙の無いぐらいに叩き割る
といった表現が適している。

吉岡兄弟との戦いなど、屠殺の連続だ。

しかし、そんな武蔵と井上氏の武蔵には若干の違いを感じた。
それは、武蔵の強さと優しさとあわせて、美しさである。

この世は美しいものに人々は魅了されると思うが、
初期の武蔵の無骨な強さの中に歳月の流れの中で
何かが磨かれ美しさを求道したのではないのか・?

その歳月の流れの中で何が武蔵を変えて行ったのか・・・?

それを考えるに、ひよっとしたら禅宗かも知れない。
禅の教えが、猛々しい武蔵の心に何か安らぎをもたらすべく
禅僧によって生きる単純さと美しき心を移植されたとすれば、
それはまさに人間の自己と自我との問答に他ならない。

その心の中の問答が、次第に武蔵の心を静と寂の世界に
導いたとすれば、晩年の書画にみる武蔵の心を作った
と言えるのではないか・・・。

今まで切った人間達を弔うということではない。
あくまで自我の中に眠る、「狂」と云う心を癒す心だと思う。

今の現代美術館に居る武蔵は、まさに美の化生のように思う。
美しさの中に秘めた強さを滲ませている。

是非、ご覧になったほうがいい・・・。
今回の空間デザインは、鈴木恵千代さんと云う方が手がけられたが、
その空間には、井上武蔵が密かな美しさを溶かしながら、我々を
待っている空間だ。

熊本ゆかりの武蔵・・・愛してやまない人物だと思う。




  

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2009年05月12日

ボブ・マーリー・リスペクト



ボブマーリーリスペクト
昨日、ストリートアートプレッスクでボブマーリーリスペクトのイベントが開催された。


5月11日が平和と愛を伝え続けたボブマーリーの命日なのだ…


アートプレッスク実行委員会は、グレートコンポウザーメモリアルと称して偉大な作曲家を顕彰する意味で毎年数人の作曲家の命日に開催している。


特に5月はボブで、12月はジョン・レノンなのだが、カリブの島から発せられた愛と平和の伝道師は格別だ…


上通の紅蘭亭パビリオンでのライブであったが、新緑の欅の下でのライブは大いに盛り上がった。


コビーが大トリを勤めたが、出演者全員が参加しての大合唱であった…


春の宵にレゲエの心地よい風を心いっぱいに楽しむことができた。
  

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2009年05月12日

大分の街 その三



さあ、いよいよ大分編の最後を飾るのが、大分名物
鯖の炙り棒寿司だ。

元々鯖の棒寿司と云うものは全国至る所に
あるのだが、大分のは一度鯖を炙ったものを押し寿司にしてある。

香ばしい風味が押し寿司の中に閉じ込められていると云う逸品だ。

一路熊本へと大分駅に入ると、正午近くと言うこともあり、
構内は人で溢れていた。

そんな中、母がお昼は弁当にしよう・・と言った。
そうだ確かに車内で買う事もできるが、ここは一つ駅弁当を
調達することにした。

すると直ぐに目に付いたのが「鯖の炙り棒寿司」と云う幟だ。
果たして、駅の総合案内で尋ねてみると、キヨスクの隣に
店があるという・・・。

お店にお伺いすると、薄竹皮に包まって竹の皮を縒った紐で
包んである棒寿司が山のように積んであった。
一本1350円という値段であったが、棒寿司の値段としては、
まあまあかと思った。

さて、九州横断鉄道の列車に乗り込み、ほどなく走り出したあと、
その包みを開いた。
まさに炙った鯖の香りが溢れてくる。

初めは醤油をつけずに頂いた。
鯖の香ばしい風味と共に酢飯のぎっしりと押されている堅さが
丁度よかった。

何故か口の中に甘みを感じる。
揺れる列車の中で噛み締める寿司は、旅情を醸しだしていた。

寿司をほうばりながら、車窓からは新緑溢れる景色が流れていく。
たまたま娘の結婚式で訪れた大分であったが、最後の締めとして
列車の中で母と一緒に食する鯖の炙り棒寿司はいい思い出になった。


大分編は、これにて一端終るが、次回また訪れるであろう
彼の地の話題を掲載していきたいと思う。
乞うご期待である。



  

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2009年05月09日

大分の街 その二



先日の大分紀行の続きである。

娘の結婚式場が大分駅から歩いて8分という距離を
考えると割り方近い気もしたが、年老いた母も同道している
手前、年寄りや親戚はタクシーを利用して大分全日空ホテル
に向かわせた。


私は初めて訪れた大分の街を歩いて雰囲気だけでも掴みたかった。
果たして、駅前の大友宗麟公の銅像を眺め、そのままセントポルタ
と云う商店街に向かって歩いた。

何故か熊本で商店街関係の仕事をやっていると他の街に
お伺いしたときなど職業病と云うか何か他の街が気になるものだ。

時刻は、まさに正午近く・・・。
セントポルタのアーケード街は人でもあり活気があると感じだが
奥に入っていくと、愕然と人通りが消えていた。

特にガレリア竹町と云う商店街にたどり着くとまさに全国何処でも
ある閑散とした商店街だ。
日曜日の午後だというのに寂しい。

昨今、中心市街地活性化事業と云うものが全国の主だった
都市圏で中心市街地をもう一度再生しようと云う動きがある。
大分も例外ではなく、中心市街地活性化協議会ができ、
色いろと動いているようである。

大分の中活協議会では、以下のことをテーマに進めていくという。
(1)こだわりに出会える価値観の高い商業の再生
(2)安心・安全に回遊できるひと中心のまち創出
(3)街なかで過ごすライフスタイルを提案するまち創出


しかし何かが足りないと思う。
それは、こだわりに出逢えるということも、一店一店の意識と
行動が伴って達成できることで、実際は旧態依然の意識の中で
その人たちを軸に「こだわり」と云うことの意識改革ができるのか?
非常に疑問に思う。

また、安心安全で回遊できる人中心の街の再生と云うことだが、
回遊させるにしても魅力的な店舗業態をどの程度、現在の
中心市街地に誘致できるかにかかっていると思う。

松山の丸亀の事例は、ある意味究極であるが、他所から誘致して
くるのであれば、地元との根がないように思えるし、商店街の
持ち合わせていた「人情」と云う点が欠落してしまう。

では、どうするのか・・・?
果たして、思案に暮れるのであるが唯一いえることは、仕掛けを
行政側から仕掛けていくのではなく、地元の商店街の皆さんと
の意識の統一が必要だと思うし、また、都市の再生には何より、
「事業」と云うエッセンスを意識の中に入れていくべきだ。

都市部における古びたビルの再生には、再生の専門家である
リノベーションというノウハウを持ち合わせた企業や人との
コラボが必要であり、また熊本で現在行っている、
エリアの包括契約による一般経費の圧縮といったエリアマネージメントが
しっかりとした都市部の体力増進もあわせていくべきだろう。

そのような有機的になおかつピンポイントでのビジネスとしての
再開発と再付加価値移植を行ってこそ、中心市街地の
賑わいを取り戻せる要因だと考えている。

全国あまたの都市部の行政は中心市街地活性化法成立と共に
相変わらず中央集権的な各省庁の取りまとめである内閣府に
申請を出し続けている。

果たして一度も大分の街を見たことも無い官僚が、
その事業の細部に横たわる意味を汲むことができるのであろうか?
むしろ、自らの手で街の再生を期す方が遥かに実行性が上がると
思うが、いかがだろうか・・・?

かつて早稲田商店会の会長だった安井潤一郎氏が講演で話していたが、
「自分たちの街は自分たちで守る」と・・・。
まさに、こんな時代だからこそ、町場の人間が意識革命を自らの手
で行い、そして自分たちにスキルが足らないと思ったら、
自らの手でスキルのある方とコラボし、街の今に合った付加価値を
創造していくことが一番だと思う。

日曜の午後のガレリア竹町でそんなことを思ってしまった。




  

Posted by 南亀仙人 at 15:21Comments(0)TrackBack(0)

2009年05月06日

大分の街



先日、娘の結婚式で訪れた大分であったが、
色いろと面白い話題があった。

さて旅と云えば食べ物は欠かせない。
その食べ物も異郷の味の楽しみに加え、熊本の味を
異郷の地で見つけると興味が沸々と湧きあがってくる。

さて今回は大分で見つけた「熊本ラーメン」である。
大分全日空ホテルの足元の町は「若草」と云う・・・。
その若草公園の外れに「味来軒わさもん亭」と云う
ラーメン店を発見した。

結婚式の直前と云うことで、一瞬諦めたが、全て終った夜に
家族でお邪魔した。

何でもご亭主は熊本で熊本ラーメンの修行をされた
豊後人であった。

さて、そのラーメンであるが、旨い・・
とても旨い。
熊本に於いても中々出逢わない豚骨ラーメンだ。



スープも程よく、薄くもなく辛くもなく、しかも濃くがある。
トッピングとして、メニューにはなかったがモヤシを乗せて
もらったが、まさに豚骨の旨みと、飲んだ後の一品として
ちょうどよかった。

熊本弁で家族でべらべらしゃべっていたら、「熊本からですか?」
と奥様から声掛けられ、なんとなく照れくさかった。
しかし、白岳の水割りが、そういわせたのか「うまかです」
と応えると、ニッコリとマスターと奥様共々喜んで頂いた。

食して店を出ると「Yahoo全国ラーメン特集の口コミ投稿数」と云うサイトで
大分で一番になった店とか・・・。

なるほど旨いはずだと感心し、木枯らし紋二郎風に爪楊枝を口に挿み、
ホテルへと向かった。

嫁いだ我が娘も無類の熊本ラーメン大好き人間である。
後でゆっくりと紹介しておきたいと思った。

本当にご馳走さまでした。
うっぷ・・・。


  

Posted by 南亀仙人 at 15:25Comments(0)TrackBack(0)

2009年05月05日

娘の嫁ぐ日



先日、大分で娘の結婚式が行われた。

実際、自分の娘が嫁ぐという事実が何か実感として
心の中で、どのように処理されるのか少し興味かあった。

結婚式前に友人や仕事場で皆さんから「きっと泣きますよ」と云われ
果たしてそんなものかと他人事のように思っていた。

テレビのドラマでは良くあるシーンである。
しかし自己の心の中に客観的に自分を観察しているもう人の私がいる。
いざとなってみないと分からないと思った。


大分と云う異文化の土地で娘が今後生きていくという実感・・・。
ただ、それだけが心の中に去来した。

熊本から親族一同九州横断鉄道に乗って、大分に向かった。
数十年ぶりに阿蘇立野でスイッチバックを体験した。
なんとも不思議な感じと共に懐かしさがあった。

電車は阿蘇路を一路大分へと向かう・・。
車窓を流れる阿蘇の新緑溢れる風景が心に染みた。

ああ、嫁ぎ先の大分に向かっているのだと思うと、その車窓から
見える風景に潤いを感じてしまった。

式は大分全日空ホテルで行われた。
手際よい結婚式から披露宴にと流れるように儀式は進行していく。
その過程の中にしんみりとした時間は無い。

あれよあれよと云う間に披露宴の終盤を向かえ、そしてクライマックス
での両親への挨拶となった。場内は、娘の発する一言一句に神妙な顔つき
で聞いていた。

娘は両親への感謝と云う言葉をしきりに伝えてくれた。
そう、彼女にとっていま生きている自分は、両親によって命を授けられ、
成長し、そして、いまこの場で感謝を伝えようとしていた。

私は彼女の言葉を聞きながら、我々はこの場に至るまで彼女の人生の全てに
係ってきたのだと改めて思った。
送り出す寂しさ・・・それはついに無かった。

と云うか、最後に実感として残ったものは、何か新しい家族が
出来たという喜びに近い実感がしきりとした。

生きていく大変と大切さ・・そしてその人生は自らの手で創っていく
ものである。

娘の第二の人生の出発のとき、彼女の幸せを婿殿にゆだねた
のであるが、それこそお互いに努力し、喧嘩しながらも、
2人だけの価値観を創り上げていって欲しい。

元々他人だった2人である。
お互いの価値観は、多少のずれがある。
お互いが今後、生活者となって、作っていくお互いの人生・・・。
その中にこそ、ぼんやりとした幸せがあると思う。

人生の幸せとは、そんなぼんやりとした淡いものだと思う。
お金で買える幸せもあるかもしれない、しかし、お金で
買えない幸せもある。

きっとぼんやりとした異郷の風が教えてくれるに違いない・・。

まさに親として彼らの人生の旅立ちに立ち会えよかったと思った。
幸せを祈りたいものだ。


  

Posted by 南亀仙人 at 15:12Comments(0)TrackBack(0)