2007年10月30日

晴耕雨読のこと

鹿児島といえば芋焼酎であるが、いま南薩摩が旬である。
最近になって、原産地呼称を日本政府が認めたという情報もある。

そんな南薩摩に面白い蔵元がある。

鹿児島市内から指宿に向かうと特攻基地で有名な知覧がある。
その知覧のお茶畑の中を過ぎていくと頴娃町(えいちょう)にでる。

この頴娃町には相反する二つの蔵元がある。
ひとつは白波で有名な薩摩酒造で、またもう一方は佐多宗二商店がある。

薩摩酒造は蔵元と云うより、巨大コンビナートのような工場で、それと相反する
ような小さな蔵元が佐多宗二商店である。

そこの主力焼酎とは「晴耕雨読」というものであるが、まさに美味である。

この蔵元は、現在の蔵主の先代が始まりで、先代は、国政に携わっていた政治家であったが、
現在の蔵主が30歳前半のときに先代が急逝している。
まさに彼はこの15年ばかり苦労の連続だった。


サラリーマンだった彼は、急遽地元に呼び戻され、蔵元を継ぐことになったが、
まるで素人であった。試行錯誤の末に素晴らしい焼酎を作り上げたのは、
彼の生き様が凝縮して焼酎に乗り移ったからに他ならない。

自社契約農家から採れ立ての黄金千貫が蔵元に届くと、軍手姿の新人の蔵主が
慌てるように皮を剥き、破砕機へと流れるベルトコンベアへと乗せていく・・・。

それは掘り起こした芋は、直ぐに酸化するからである。
まさに時間との勝負であった。

その後、諸味を蒸留すると、澄み切った焼酎の原液が滴り落ちてくる。
それをホーロータンクに流し込むと、表面に浮いてくるフーゼルを手で
掬い取る作業が難しかった。

このフーゼルは、芋の原料に含まれている油脂分であるが、取らないと味に癖が
出るし、また風味も悪くなる。
ただ、すくい取りすぎると、味が淡白になりすぎ、濃くを感じなくなるという
微妙なところにある作業である。

彼は、根気よくフーゼル量を調整する日々が続いた。

そんな彼の努力の結晶が「晴耕雨読」となった。

それからの彼は自らの足で全国各地に売って回ったのである。
そして自らの手で独自の販路を作り出したのである。

現在では日本航空の国際線の飛行機の中でも味わうことができる。

そんなことを思いながら一杯の晴耕雨読を口に含むとき、何か彼の人生の味まで
含まれているような気がする。




この記事へのトラックバックURL

http://sake373.otemo-yan.net/t56972